ゼネコン系のプログラマーからWeb業界へ:時間や場所に縛られない働き方

今回は、現在Webエンジニアとして活躍している、比嘉一馬さんにインタビューさせていただきました。

比嘉 一馬(ヒガ カズマ):Webエンジニア
新卒でゼネコン向けシステムの開発を行う会社にて、プログラマーに従事。
その後、WebディレクターやWebエンジニア、サーバーサイドエンジニアなど様々な職種を経験し、
現在はフリーランスのエンジニアとしてサーバーやアプリケーションなどの構築を行う。

IT漬けの人生

-これまでのご経歴はどのようなものですか

今考えてみるとIT漬けの人生ですね。
中学生くらいの頃からちょうど情報教育が始まって。
1クラスに1つパソコンがあったんですけど、いじってみたくてもマウスが外されていて、使えなかったんです。
そんな時、クラスの中にパソコンに詳しい友達がいて、キーボード上で画面を操作できる裏技みたいなものを知っていたんです。
それを見た時、凄いと思ったのと同時になんとなく悔しいなという思いが湧き上がったのが、パソコンに興味を持ったきっかけです。

そこからITシステム科がある高校に入学しました。興味があったのはもちろん、正直な話を言うと家が近くて入学しました笑
高校ではネットワークのメーカーが公認で作っている検定であったり、今は名前が変わってしまったようですが、国家試験だった「初級システムアドミニストレータ試験」の合格を目指して勉強していました。

大学でもネットワーク系について学んでいました。
情報戦略コースを専攻し、主に情報学と経営学を組み合わせた、解析チックなことに取り組んでいました。
データベースに集まった情報を活用して、経営戦略に活かしていくみたいなものですね。

あと卒業制作で、iOSアプリを開発したりもしていました。
ちょうどiPhoneが発売された頃で、教本がほとんどなくて、大学の教授でiOSの開発に詳しい人に何度も質問しながら開発していました笑

具体的には、定期券内のオススメの飲食店をマップ上に表示するというアプリで、正直なところ今ならありふれているアプリですが、その頃はあまりなかったので続けていればという気持ちはありますね…

-そこからどのような会社に就職したんですか

就職したのはちょっと特殊な業界なんですが、トンネルの掘削をする作業員用に、レーザーポインターでトンネル上に道しるべを付けるようなシステムを、Windowsが出している「Visual Basic(※1)」という言語を使って開発をしていました。

そこで新卒で入社して4年くらい働いていたんですが、ある時に今までPC上で処理していたものから、携帯でもリアルタイムで情報を確認できるWebシステムが欲しいというオーダーがあって、そのWebシステムをPHPで開発したのが初めてのWebの仕事でした。

この時に、出来上がったもののクオリティーに対して、もっと見た目を良くしたいというプライドが生まれ、Webについてより知識を深めたいと、転職を決意しました。
そこからはWebスクールに通い、デザインやコーディングについて学習していました。

KROWLに出会ったのはその時ですね。


※1:マイクロソフトが1990年代に開発していたプログラミング言語

-Webディレクターのお仕事はどうでしたか

正直な話、人見知りであまり初対面の人と話すのが得意ではなくて…
Webディレクターは職種柄、様々な方達とコミュニケーションを取りますし、おまけに入社したのが規模の大きい会社だったので、やっていけるかどうか不安な部分はありました。

ただ、Webディレクターは制作全体を統括し、1つの成果物を作り上げるまでの進捗管理をしていかなければなりません。
私がコミュニケーションを取ることに足踏みをしていると、本当に制作が回らない。
そんなことを意識し始めてから、少しづつですが様々な職種の方とのコミュニケーションに慣れていきました。

そこからWebディレクターとして1年くらい働いていたんですが、元々プログラマーをやっていたということもあり、だんだんコードを触りたくなってしまって…
ただ、私が所属していた会社は完全分業制だったので、ディレクターはディレクションだけ、デザイナーはデザインだけとはっきり棲み分けがされていたので、コーディングに携わることが難しかったんです。

そんなタイミングで、知り合いからアプリを設計してくれないかと声がかかって。
コーディングに携わりたいという気持ちもあったので、フリーランスのWebエンジニアになることを決心しました。

-どのようなアプリを制作してたんですか

ちょっと表現が難しいんですが、簡単に言うと想いで人と人が繋がるコミュニケーションアプリです。
私は沖縄県出身なんですが、貧困が1つの社会問題となっていて。
そんな状況で人々が無理をせず、自分らしく、近所の人や同じ街の人が気軽に繋がり助け合えるようになればと制作していました。

沖縄の言葉でいう、ゆいまーる(※2)ですね。


※2:助け合う、共同作業

コミュニケーションの重要性

-現在はどのようなお仕事をしていますか

アプリ開発をしていた時にたまたまRuby on Railsで構築したことがきっかけとなって、今はRuby on Railsでバックエンド領域の開発をしたり、画面の設計も含めてデザインから構築まで1つのアプリケーションを構築したりしています。

-仕事で心掛けていることはなんですか

Webディレクターをやっている時は、デザイナーやエンジニアに、よりクライアントの要望や思いが伝わるようなコミュニケーションを取ることや、指示書を作成するように心がけていました。
元々プログラマーをやっていた時に、他のエンジニアに指示や要望を曖昧に伝えてしまったことで結果的に無駄なやりとりが増えてしまいました。これではお互いにロスが多いと気づき、それからは仕事で特に意識しています。

また、プログラマーとしての視点で言うと、渡された指示書に対してそれをただ受け入れるだけではなく、本当にクライアントの目的と施策が合致しているかということを精査した上で、構築するように心がけています。

Webディレクターの方には、面倒だなぁと思われることがあるとは思いますが笑

-最も印象に残っている仕事を教えてください

Webディレクターとして担当した、BtoC事業を展開している企業の案件は未経験だったこともあり印象に残っています。

大規模な案件で、毎週クライアントや広告代理店との定例会があって、一週間の数字的な結果や、改善策について話し合っていたんですが、当時はWebディレクターとしての経験も浅く、前職と比べ関わる人の人数も異なっていたので、とても緊張したのを覚えています…
それに、関わる人が多いことで様々な意見が飛び交うので、どうやったら自分たちが考えた施策に納得感を持ってもらえるかという部分は、試行錯誤しながらやっていましたね。

また、携わっていたWebサイトは月間で数億ものPV数があるものだったので、テキストや公開時間など1つでもミスをすると被害も大きくなってしまうため、常に気の抜けない環境でした。

現場を離れる際に、「比嘉さんのおかげで事故なく無事に運用することができました」とお声掛けいただけた時は、本当に報われたような気持ちになりました。

時間や場所に縛られない働き方

-これからどのような仕事をしていきたいですか

来年を目処に故郷の沖縄に拠点を移し、沖縄・東京の2拠点でデュアルワークを両立していきたいと考えています。

私はWebやITは主に情報を商材としている業界なので、物理的に距離が離れていても仕事をすることができると思っていて。
東京で働き始めてから、毎朝満員電車に乗ることに疑問を感じていました。
それこそ、沖縄であっても那覇などの都市部に会社が集中しているので、毎朝渋滞につかまるなんてことが日常茶飯事で…
WebやIT業界で働いているのに、時間や場所に縛り付けられながら仕事をするのって、本当にコストパフォーマンスが悪いなあと、考えているんです。

自分自身が沖縄と東京の2拠点で、時間や場所に縛られず働くスタイルが1つのモデルケースとなることで、沖縄にも自由な働き方が広がって欲しいですね。

-あなたが一緒に働きたい人・働きたいと思う環境はどのようなものですか

やっぱり向上心がある人と働きたいですね。
WebやIT業界って、日々新しい技術やサービスが生まれていて、それらの変化のスピードが本当に早い業界なんですよね。だから、日常的に情報をキャッチアップしていこうという姿勢がある人と仕事をすることで、自分自身も刺激を受けて成長に繋がると考えています。

-これからWeb業界を目指す方へのメッセージ

WebやIT業界に興味はあるけど、なんか難しそうと悩んでいるならば、
自分でハードルを上げすぎず、踏み出してみてください!

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